資本主義

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お金とその周辺のルールを尊重することで問題解決しましょうという考え方。

現代日本社会のもっとも基本的仕組みなので、知っておかないと問題解決のアイディアが個人やその周囲のの努力レベルで収束してしまい、社会の大きな流れのなかになかなか組み込めない一つの要因になりうる。

また、いつも使っているはずなのに、お金に対して正しい理解をしている人は少ない。たとえば最もありがちな誤りが、「お金の価値が普遍である」であるお金の価値を保証しているものが何なのか、そしてそれが変動するか否かを考えれば答えは明らかである。

このようにお金に対する理解も、資本主義に関する理解も不十分であっても資本主義社会では生きていけるのが、良いところでもあり悪いところでもある。

前提

資本主義の前提は、以下の通りである。

下記のお金に求められる性質を踏まえた信用力のあるお金が存在すること

組織や個人はお金を所有できること。(財産の所有の権利)

組織や個人はお金を使用する主体となりうること。(経済主体としての人格)

組織や個人がそれぞれ自由に意思決定して、行動できること。その結果として、お金を受け取ったり支払ったりすること。

契約が法律の範囲内で自由に行えること。

お金に求められる性質

物やサービスと交換可能であること(決済機能)

 

商品やサービスの価値を相対的数値指標として表現できること(価値の媒介変数)

お金の価値は、短期中期的に大きく変動しないこと(価値の保障・保存)


上記に加えて、

そのお金を必要としたり関わる人の集団が、全体として相対的価値を生む方向性で安定的に行動できること(価値を保守する人的集団の存在)

もろもろ含めて「まあ大丈夫でしょ」という漠然とした感覚レベルでの信頼感をお金が獲得していること。

上記のお金に求められる性質が失われた場合の想定

自然災害、戦争、感染症など有事の際や、将来的に諸外国と比較して破滅的に経済力が低下して貨幣価値がほぼ無くなったという極端な状況を想定するとその場合お金に求められる性質が失われた状態となりうる。

その場合は、以下のような状況が想定される。

食品を含めた各種流通の停止や、物資の不足

医療福祉介護サービスに必要な人材市場の停止

モノの価値の急激な上昇

インフラサービスの停止

各種公共サービスの停止

国家財政の破綻

政府機能の停止

など、お金の仕組みによって成り立っているいろいろな便利なサービスが停止し、自分で人間関係やコネクションを組織できるリーダーシップを備えた人物や、すでに組織された機動的なコミュニティやルール、その中での役職、各個人がすでに所有している財産をうまく活用する能力、具体的問題解決能力に関連する知識やその遂行能力に関する具体的な価値が上昇する。

また、命を自衛したり、栄養や健康状態が維持できるかどうかという側面の価値が非常に高まるとおもわれる。

資本主義社会を生きるのに必要な教養

幸いにして、今のところ日本社会はまだお金がうまく機能しているほうであるといえる。

その一方で、行き過ぎた資本主義を指摘する声がある。

そして、それらが格差問題として取り上げられている。

この問題解決はシンプルで、合理的であろうとすることは継続しつつも、と同時に、その他の価値観をぶつけて組み合わせることである。

それは、渋沢栄一の「論語と算盤」の中にある表現にたよって表現するならば、「算盤勘定とそこから自業自得でこぼれ落ちていく人たちに対する憐れみを忘れてはならない」という。このいわば、「2つのかんじょう」をうまく扱う力が基本的な教養として必要になる。

志を高くして欲に惑わされない

強欲なだけでは自分も他人も双方の幸福感を十分なものとすることはできない。

また、理想を掲げ、人に優しく真面目であっても、そこに賛同して資金を投資してくれるひとがいたり、あるいはそもそも貧しいばかりでは、状況を帰る力とはならない。

志を高く掲げ、自らを律し、大人として振る舞うことが必要不可欠である。