鬱病
鬱病は正しく理解されることが大切である。
鬱病とは、気分が低下している状態が慢性化し、日々の活動性や生産性に重大な支障を及ぼしている状態である。
この状態は、罹患した個人のみならず、家族、会社、学校、周囲のコミュニティに非常に大きな影響を及ぼす。
鬱病かもしれないと思ったら
まずは、焦らず医療機関に受診して、専門家の判断を仰ぐことが大切である。
本当に鬱病の場合には自分で正常な判断ができなくなっている可能性が高いので、「鬱病かもしれない」と気付けるだけでもとてもすごいことである。
そのため、自分で判断する事を一旦休んで、しかるべき人の判断を仰ぐために、医療機関ないしはクリニックなどへ足を向かわせることが大切である。
また自分一人ではそのような場所に行くことが困難である場合には、周囲に連れてってもらえるように協力を仰ぐことも大切である。
鬱病だったら
鬱病であるがゆえにできないことが増えるのは当たり前なので、自分ができないことがたくさん増えたのは病気のせいであり当たり前だと言うことを受け止めることが大切である。
無理にこれまでのパフォーマンスを維持することはキッカリと一旦諦めて、自分自身の特性と限界にキチンと向き合う作業をしていかなければならない。
作業療法士はその過程をサポートすることができる専門職であるので、精神科医に鬱病であると診断された場合には作業療法の開始を希望される事をお勧めする。
無理にこれまでどおりのパフォーマンスをだすために、服薬などに過度に頼りすぎた場合には脳が不可逆的なダメージを蓄積してしまう可能性があるので、早急にに自分の生活を根本から見直す事とゼロベースで生活を再構築することが大切である。
鬱病の難しさ
鬱病になった人にしかわからない感覚があり、その感覚をうまく説明することが鬱病患者本人には難しい。
世界が全て灰色に見えたり、物事の意味性が捉えられなくなるまで思考力が低下することもあるが、周囲から見ると外見上何も変化がないので、正しい理解が無いと、還って無自覚に鬱病の方を追い詰める結果となる。
周囲の無理解は、確実に鬱病の方の精神的にストレス、追い討ちをかけることになるので、中途半端に支援を行うくらいなら何もしないのが良いとさえ言える。
生兵法は怪我の元であり、支援をこなうときには事前にどのような状態なのかについて、鬱病の当事者が言葉にせずとも、察することができるレベルで、疾患の事を理解しておくことが望ましい。
しかし、家族がその水準で本人と接することは困難であるため、生兵法になりがちである。
鬱病の人との関わり方
「頑張れ」と言わないことというのはよく言われる。
これには、明確な背景となる根拠が存在する。
頑張れというのは、普段の自分の普通の状態からプレッシャーをかけて処理能力をアップさせるという意味である。
鬱病の人は、ワーキングメモリの縮小に伴って、このギアチェンジを行うことができなくなっている。
自分の生産性が否応なく下がって焦っているところに、頑張れと言われてさらなるプレッシャーが発生すると、それがさらにワーキングメモリの容量を侵食して、生産性を低下させることにつながり、それを自覚することがさらに焦りを生み出す悪循環となる。
鬱病の1番のリスクファクターは、焦りの心理である。そこから、様々な状態が派生し、ワーキングメモリへの悪影響が処理能力を低下させる。
鬱病の人を焦らさないようにするためには?と考えて関わると、鬱病の当事者は大変ありがたいはずである。
リスク要因
鬱病にかかりやすいかどうかは、個人差がある。
また要因を治療することによって改善や予防が期待できるとされている。
人ヘルペスウィルス
慈恵医科大学の近藤一博教授らは今年、ほぼ全員が感染しているヒトヘルペスウイルス6の遺伝子がうつ病の原因となるたんぱく質を作っていると発表。
[1]
上記の原著論文[2]では、ウィルスによるタンパク質の生成が鬱病発症ないし、抑うつ気分の状態の人の気分との相関関係までは明示されているが因果関係については明確に述べられているわけではない。
鬱病を発症した結果として、タンパク質の生成が促進されているのかどちらが先なのかに関するより詳細な報告がまたれる。
一方で、もしも、そのタンパク質が鬱病の原因であるとするならば、ウィルスを除去するかタンパク質を体内から取り除くような治療を行うことができれば、明確に鬱病が改善すると言えるので、今後はそのようなアプローチでの研究が期待されている。
孤立
今まで人に囲まれる生活を送っていた人が、環境の急激な変化によって一人でいると、ろくな事を考えられなくなるという説がある。
その説が正しいとすれば、孤立は鬱病のリスク要因である。
因果関係についてのエビデンスとなる研究報告が必要である。