関節可動域訓練
ROM-exともよく表現される。
対象者はやってもらってる感が強いので、リハビリ=関節可動域訓練のイメージは強い。
しかし、対象者のニーズに応える形で漫然と求められる手技をやっても、生活改善には繋がらないことも多い。
そのため、対象者の求めにどのように応じるかにおいて療法士の力量があからさまに問われることになる。
とりあえず、動かしてるだけ、ないし、障害の原因も状態も異なる全ての対象者に同じ手技を提供している療法士は何もわかってないと見られるリスクは非常に高い。
できる限り、早くなんとなくで行う関節可動域訓練をを脱する必要がある。
そのためには、なんとなく関節可動域訓練が蔓延しがちな理由を理解しておくと良いだろう。
なんとなく関節可動域訓練が起こる背景
国の制度
一番は国の制度にある。
言わずもがな、なんとなく関節可動域訓練が提供されてしまう最大のものは、売上のためである。
これは、投薬や処置によって売り上げが確保できる日本の医療システムの構造全般とおなじ問題をはらんでいる。
つまり、効果があろうとなかろうと、提供した時点で売り上げが成立する。
このようなビジネスモデルの問題のせいであり、ひいては、そのようなビジネスモデルのプラットフォームとなっている国の制度が悪い。
顧客のセルフマネジメント能力
どうすれば自己利益が最大化できるかを、エビデンスに基づいて考えようとする姿勢は、対象者自身の主観的QOL向上という文脈での、効率的なリハビリテーションに不可欠である。
いついかなる状況においても、全ての症状を改善する薬がないことはみんなが知っていることになっている。しかし、万能薬は作れると思っているような人も世の中にいる。
関節可動域訓練に関してもあたかも万能薬と同じような期待を持つ人はおり、むしろ普通の薬よりも機能改善にむけたその期待は多いかもしれない。
しかし、願いにもにたその過剰な期待に反して、関節可動域訓練が本当に効果的な病態や状態は、薬にも効く効かないがあるのと同様で、やはり限定されている。
自身の過剰な願いに気づき、現実を見つめるセルフマネジメント能力を関節可動域訓練を受ける対象者自身が持っているかどうかは、効果的なリハビリテーションを実現できるかどうかに大きく影響する。
そういう文脈で、日本の教育の現実として、セルフマネジメント能力が不足したまま大人として振る舞うことになった人は多く、このような方が顧客となる場合無意味な関節可動域訓練を求めることが多く、また提供されないと不満を表現されることも多い。
だが、疾患や病状によっては求めに応じて関節可動域訓練を単体で提供しても、治療的に無意味であることに変わりはない。
そういう意味でやはり国が悪い。
療法士の良心の問題
疾患や病態によっては無意味である関節可動域訓練を最終的に提供するのは、療法士自身である。
上記の環境がそうさせるのはもっともであるし、組織の中で個人が声を上げるには、政治力やセンス、カリスマ性、スピード感、的確性など多くの要素が必要となるため、それができる人材は限られる。
よって、今日も療法士は良心を痛めつつも、対象者の要望と売り上げのため関節拘縮の完成した対象者の関節可動域訓練を行うのである。
なお、論外として、関節可動域訓練の何が効果的で、何が無意味なのかわからない療法士の存在であるが、それはそういう療法士を現場に送り出す学校教育課程と国家試験とそれらを運用する国が悪い。
あとは勉強しない本人が、一番悪い。
目的
効果に関するエビデンスは、よくわかっているものもわかっていないものもあるが、経験則として以下のような目的で行われている。
1 過度で不要な筋緊張(トーン)を和らげ、正常なものに近づける
2 軟部組織の癒着防止
3 関節拘縮の防止
4 局所の循環改善
5 意識レベルの改善・覚醒への促し
6 運動の意識づけ
7 不動性関節炎の防止
8 固有受容器の刺激による筋再教育
完成した関節拘縮に対するROM-ex
改善効果がほぼないというエビデンスが存在する。[1]
それに基づけば、完成する前の予防が大切である。