時間
時間は動かせない。でも、『時間』を使えば色々と動かせます。
概要
物理学的な詳しい話はしない。
平等性
客観的時間は自動的に経過するもので、誰かの意志が介在する余地が全くないものである。
そういう意味において、時間は全ての人、モノ、存在にとって平等に経過するものである。
資源としての時間
時間は、何かをしていても何かをしていなくても、すぎる。
また、単位時間あたりに何かが達成される度合いを能率というが、能率には必ず上限がある。
つまり、時間は人生において最も貴重な資源であると認識するのが現実に適合した考え方であると言える。
逆に時間が無限であるならば、どんな困難に思われるような出来事も、戦略と方向性さえ間違えなければ、大抵達成できると思われる。
時間による能力の定義
能力を伸ばすとは、単位時間あたりにおける目的とする結果を達成できる可能性を高めることであると言い換えることができる。
つまり能力とは、単位時間あたりの生産性である。
これは、資源としての時間が有限であるという前提に由来する。
特別な才能というのは、その才能がなければその時間軸上において0であった生産を1にするものであると言える。
つまり、「優秀な人間」というものになりたければ、単位時間あたりの生産性を増やす方向に活動をすればよいということである。
そのためには、学習の機構が効率的かつ効果的に行えることが必要である。
不平等性
一方で、主観的時間は全く平等ではない。
つまり、頭の中で処理できる情報量がその人の主観的時間の経過を左右する。
頭の中でたくさんの物事を処理できる人は、そうでない人に比べて主観的時間はゆっくりと経過することになる。
人間の能力には個人差があり、認知機能にも個人差がある。時間の体感はその認知機能に由来するので、当然主観的時間経過の速さは個人間で異なるはずである。
これは人間の集団を考える上で極めて重要なアイディア、発想である。