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QOL(Quality Of | QOL(Quality Of Life)クオリティオブライフとは、人生の質である。病気や障害そのものの治療よりも、[[作業療法]]対象者のQOLを向上するのが、[[作業療法士]]の重要な役割である。 | ||
==QOLの向上の重要性== | |||
障害とともに生きていくことの重要性が、社会により認知される必要がある。 | |||
現代医学では、生命がつながる可能性は高まっている。一方で、生命が助かっても一生治らない病気や、もとに戻せないような受傷をへてその後のQOLをどのように向上させていくのかということが社会全体の問題として大きくある。 | |||
そうした場面においては、QOLが向上するならば、かならずしも機能改善は優先しないという考え方がかなり重要である。 | |||
対象者やその周囲の人間、支援者が本当の意味でのQOLをより広い視野視点でとらえ障害や疾病そのものではなく、QOLを向上させるという視点で、日々の生活を遅れることで、本当の意味で救われる人生がたくさんあるはずである。 | |||
これこそが、いま求められる[[リハビリテーション]]であり、[[作業療法]]の[[哲学]]であり、[[作業療法士]]の働き方である。 | |||
==お金とQOL== | |||
お金をかけずに、自分が幸せと思うことを自分の力でできることや、逆に自分が幸せだと思うことについてお金に糸目をつけないことで実現できること。 | |||
お金のマネジメントが自分で行えること。 | |||
非常にシンプルであり、このシンプルなことが実現できない状況は、お金に関するQOLが低い状態といえるので、何らかの介入が必要である。 | |||
社会的障害の場合には、非常に割合の大きな問題であるといえる。 | |||
お金をかけずに人生を楽しむ方法や、お金に関する優先順位を整理する必要がある。 | |||
==意思決定とQOL== | |||
QOLは自分で自分の人生をどうするかという意思決定がなければ成立しない考え方である。 | |||
なぜならば、自分の人生の質は、自分しかきめることができないからであり、他人に定義される性質のものではないからである。 | |||
==日本人とQOL== | |||
日本人は、自分の人生に関する意思決定を自らの力で積極的に行うことを周囲が矯正するような習慣がない。 | |||
それゆえ、大人になっても社会の普通に自分を揃えようとしたり、社会一般の常識を優先して、自分自身のQOLに対して正面から向き合わないままに、老後を迎えてこと終活の段階に至って困惑することも少なくない。 | |||
==現代日本社会とQOL== | |||
しかし、人生の自由度が限りなく広がるのが現代社会である。 | |||
ありとあらゆる格差の本質は、何を与えられたかではなく、自分で意思決定を行い判断を行い、自分の人生を自分で進めることで自分のQOLとしっかりと向き合い自分の人生をデザインする力の差である。 | |||
人生におけるありとあらゆることが自己責任というのは間違いであるが、すくなくとも意思決定の最終的な判断の責任はその本人に帰結しなければならないし、そうした決定がない人生というのは自分の人生を自分で選択できないということであり、QOLをコントロールすることを放棄するということである。 | |||
全ての人が、自分のQOLについて考え、人にそれを伝達し共有できるように生きていかなければならない。 | |||
==作業療法士のキャリアとQOL== | |||
自身が制度ではなく、本当に顧客対象者をみて地に足をつけて仕事ができるという意味においても、QOLのアイディアはとても重要である。 | |||
人生の質の向上に寄与できる作業療法士は、[[作業療法士]]の制度が国家として維持できなくなっても仕事を失うことない。 | |||
[[作業療法士]]という仕事が、将来に渡って現在と同じ給与水準で、維持されうるかを考えた時、現在の人口動態を考えると甚だ疑問である。 | |||
もし、現在の[[作業療法士]]としての仕事の仕組みが維持できなくなったとしても、対象者のOOLの向上を第一に考えて、結果を出すことができる[[作業療法士]]であれば、制度に頼らずとも継続して仕事を得ることができるはずである。 | |||
そうして、仕事に没頭できてこそ、[[作業療法士]]は顧客対象者の要望に本当の意味で応える仕事ができるはずである。 |
2020年9月20日 (日) 02:50時点における版
QOL(Quality Of Life)クオリティオブライフとは、人生の質である。病気や障害そのものの治療よりも、作業療法対象者のQOLを向上するのが、作業療法士の重要な役割である。
QOLの向上の重要性
障害とともに生きていくことの重要性が、社会により認知される必要がある。
現代医学では、生命がつながる可能性は高まっている。一方で、生命が助かっても一生治らない病気や、もとに戻せないような受傷をへてその後のQOLをどのように向上させていくのかということが社会全体の問題として大きくある。
そうした場面においては、QOLが向上するならば、かならずしも機能改善は優先しないという考え方がかなり重要である。
対象者やその周囲の人間、支援者が本当の意味でのQOLをより広い視野視点でとらえ障害や疾病そのものではなく、QOLを向上させるという視点で、日々の生活を遅れることで、本当の意味で救われる人生がたくさんあるはずである。
これこそが、いま求められるリハビリテーションであり、作業療法の哲学であり、作業療法士の働き方である。
お金とQOL
お金をかけずに、自分が幸せと思うことを自分の力でできることや、逆に自分が幸せだと思うことについてお金に糸目をつけないことで実現できること。
お金のマネジメントが自分で行えること。
非常にシンプルであり、このシンプルなことが実現できない状況は、お金に関するQOLが低い状態といえるので、何らかの介入が必要である。
社会的障害の場合には、非常に割合の大きな問題であるといえる。
お金をかけずに人生を楽しむ方法や、お金に関する優先順位を整理する必要がある。
意思決定とQOL
QOLは自分で自分の人生をどうするかという意思決定がなければ成立しない考え方である。
なぜならば、自分の人生の質は、自分しかきめることができないからであり、他人に定義される性質のものではないからである。
日本人とQOL
日本人は、自分の人生に関する意思決定を自らの力で積極的に行うことを周囲が矯正するような習慣がない。
それゆえ、大人になっても社会の普通に自分を揃えようとしたり、社会一般の常識を優先して、自分自身のQOLに対して正面から向き合わないままに、老後を迎えてこと終活の段階に至って困惑することも少なくない。
現代日本社会とQOL
しかし、人生の自由度が限りなく広がるのが現代社会である。
ありとあらゆる格差の本質は、何を与えられたかではなく、自分で意思決定を行い判断を行い、自分の人生を自分で進めることで自分のQOLとしっかりと向き合い自分の人生をデザインする力の差である。
人生におけるありとあらゆることが自己責任というのは間違いであるが、すくなくとも意思決定の最終的な判断の責任はその本人に帰結しなければならないし、そうした決定がない人生というのは自分の人生を自分で選択できないということであり、QOLをコントロールすることを放棄するということである。
全ての人が、自分のQOLについて考え、人にそれを伝達し共有できるように生きていかなければならない。
作業療法士のキャリアとQOL
自身が制度ではなく、本当に顧客対象者をみて地に足をつけて仕事ができるという意味においても、QOLのアイディアはとても重要である。
人生の質の向上に寄与できる作業療法士は、作業療法士の制度が国家として維持できなくなっても仕事を失うことない。
作業療法士という仕事が、将来に渡って現在と同じ給与水準で、維持されうるかを考えた時、現在の人口動態を考えると甚だ疑問である。
もし、現在の作業療法士としての仕事の仕組みが維持できなくなったとしても、対象者のOOLの向上を第一に考えて、結果を出すことができる作業療法士であれば、制度に頼らずとも継続して仕事を得ることができるはずである。
そうして、仕事に没頭できてこそ、作業療法士は顧客対象者の要望に本当の意味で応える仕事ができるはずである。