作業療法士の学習
作業療法士としては、卒業後にしっかりと自分で勉強できる力を身につけておかなければならない。
筆者の調べでは、卒業後の作業療法士の半分以上は就職後に新しい学習を何か自分で行ったかという問いに「いいえ」と答えている。
学習は人から言われたから行うものではないし、困る前や困った時に自分で自発的に行うものである。
ここでは、作業療法士の学習における選択肢について取り上げる。
研究教育機関
日本での選択肢の1番は、大学である。
研究をしながら、自分の臨床について見つめ直すことができるだけでなく給与もそこに発生する。
そのかわり臨床以外のことが忙しくなるので、臨床に片足を突っ込んでおきたい人は工夫が必要になる。
逆に、臨床はもういいやと思った人が消極的理由で選択する場合もなくはないが、生徒には伝わっているとかいないとか。
とにもかくにも、深く学び直すことを考えるのであれば、研究教育機関・特に大学は良い選択肢である。
都道府県士会や日本協会の研修
各都道府県作業療法士会や、日本作業療法士協会主宰の研修会が1番無難な研修であると言える。
何よりも料金が安心価格である。
その一方で、万人向けな内容となりがちで、人によっては内容が薄いと感じてしまう場合もある。
ただし、安いので最初は悩む前に自分が興味がありそうな研修会に参加してみるのが良い。
個人主宰の研修会
当たり外れが大きく、ギャンブル性が高い。
特に高い料金を払わないと参加できないものもあり、斬新で凄そうに見えて中身がない研修会とう詐欺的なものまで幅広い。
もちろん、その内容の質が非常に高く、多少値段が高価でも研修に参加したいという人が絶えないからその値段設定であるという研修会もある。
この時は、自分でインターネットを通して研修会を探すよりも、人間関係、つてなどを頼って参加するとハズレを引きにくい。
時折、大当たりの研修会があり、一生の学びとなることももちろんあり得る。
とにかく、個人主宰の研修会においては、ツテや人間関係が良い研修会に出会えるかどうかを左右すると言える。
余談であるが、1番良いのは自分が興味関心必要性がある研修会を企画デザインして開催することである。
クオリティーが高く他者の需要をも満たすような研修会が企画開催できれば、定期的に開催することができるようになるので、1番自分自身の学びになる。
自学自習
自分で参考書をもとにしたり、インターネットで調べたことを使って、実践学習するのが1番低コストである。
ただし、モチベーションが続かなくて多くの作業療法士が諦めてしまっているので、きちんと戦略や作戦を立ててから勉強するのが良い。
インターネット
非常に低コストで学習をすすめることができるためのツールとして唯一無二である。
一方で、嘘を嘘と見抜くことができる人でなければ、インターネットを使って学習を進めることは難しい。
価値の高い情報も、価値が低い情報も全てないまぜになって存在するのがインターネットだからである。
価値のある情報を見極め、価値が少ない情報を切り捨てる能力にたけている人や、無価値の情報から本質的価値に迫ることができる情報の扱いに長けた人は、ある程度の水準まではインターネット情報源で学習を進めることが十分に可能である。
必要なことを調べることができるように、情報検索の方法と情報検討能力について身につけておくことはとても大切である。
また、otwiki.orgは機械とパソコンとインターネットが苦手な人にも、低コストである一定のレベルまでのより良い情報、情報の取捨選択コストがほぼ全く必要ないレベルの情報を提供できるように運営していくつもりであるので、ぜひ活用されたい。
各ページ上部の検索窓から作業療法のありとあらゆることについて検索ができるし、ログイン会員になっておけば自分が学習したことを記事にして他者と共有することができるのでぜひ活用していただきたい。
雑誌
作業療法界隈の雑誌の典型的なものを紹介する
作業療法ジャーナル(OTジャーナル):三輪書店
日本作業療法士協会学術誌 作業療法:共同医書出版社
臨床 作業療法:青海社
真ん中の「日本作業療法士協会学術誌 作業療法」は、一般社団法人 日本作業療法士協会に入会している会員の作業療法士であれば、電子版のバックナンバーを無料で読むことがきる。
論文執筆
在野の臨床家であっても論文は執筆できる。というか作業療法士は論文を執筆した方が良い。
自分頭の中であいまいであった事柄がはっきりと整理できるし、自分困りごとが他者と共有できることで、それをきっかけとした自分自身に新たな対する支援が得られたり、自分自身の経験を誰かが困っていることを解決するための手段として使うことができるようになる。
そのための手段として論文の執筆は極めて有効な手段である。
通常論文を提出した時には査読者がつく。自分一人では気付かなかったような気づきが促されることで論文も自分自身の考えも深まることになり、より広く深い問題解決に挑むことができるようになるかもしれない。
ただし、自分の名前が実名で出るので、そこに抵抗がある人は一般公開する必要はない。
それでも論文は書くべきである。
大切なのは自分の困りとそこからの学びを整理して再び同じように困った時に自分がすぐに動き出せるようにしておくこと、また同じ困りを抱えている人に対してすぐに手を差し伸べることができるように準備をしておくことである。