恐怖
ネガティブな要素として扱われることもあるが、状況下においてはヒトを生存や命の危険性から遠ざける機構として働いたりもする。
作業療法士は人の恐怖を多面的に取り上げる必要性がある。そうしなければ、作業を治療的に用いるための導入がうまくできないことがあるからである。
恐怖と不安の違い
恐怖は特定の条件下における感情であり、対象が明確であるものをいう。
逆に、対象が明確でないものを不安という。
特定の条件下における恐怖
社会生活に影響を与える為か、いくつかの恐怖には名称が存在する。恐怖の度合いが強く、実生活への影響があまりにも酷い場合には、『恐怖症』として病的に扱われる。
高所恐怖
活動制限と恐怖
能力的には可能でも、恐怖によって活動が制限されることがある。
たとえば、一度転倒すると、機能的には転倒前と同じ水準で行動することができるようになったとしても、恐怖によって、外出を控えるなどした結果行動が制限されることがある。
恐怖はリスクを避けることができる一方で、メリットを制限してしまう特性があり、その恐怖が認知の歪みによるものであったり、現実や実情にマッチしていない場合には修正を試みる必要性がある。
支配の手段としての恐怖
人間には学習性無力感が存在する。
そのため、恐怖による集団支配は、低コストで人の集団を支配できるため、安易に用いられやすい手法である。
しかし、行き着く先は、必ず独裁政治である。これを忘れてはならない。
差別 の項目も参照のこと。
家庭内では、体罰として容認されてきた。これは統治にかけるコストが少なくてすむということが一つに影響していると考えられる。
最近は、漸く社会的にさまざまな恐怖による支配が容認されないようになってきている。
一方で価値観が古いままだと、このようなコミュニケーションを取りがちである。
このようなコミュニケーションは、のちのちに大きな禍根を残す。 統治に関するコストが少なくて済むのはその瞬間だけで、年単位の長い時間で物事を見れば、恐怖による統治はコストを増大させる結果にしかならない。また、被支配者のQOLを著しく毀損する。
被支配者としては、そのような支配者を察知して早めに排除すること、またその具体的手段を講じることが必要である。