「作業療法」の版間の差分

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このような複数の要因が、くっついて現代に続く作業療法の流れを作っているので、作業療法の背景が非常に豊かであると同時に、その理解が一筋縄で行かないという原因ともなっている。
このような複数の要因が、くっついて現代に続く作業療法の流れを作っているので、作業療法の背景が非常に豊かであると同時に、その理解が一筋縄で行かないという原因ともなっている。


===1963年===
 
===1963年〜2000年以前===
 
1963年 作業療法士養成校が設立される


国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院が設立され、作業療法士教育が始まる。
国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院が設立され、作業療法士教育が始まる。
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内容はアメリカのそれに倣っており、このことから日本の作業療法は強くアメリカ式の影響を受けている。
内容はアメリカのそれに倣っており、このことから日本の作業療法は強くアメリカ式の影響を受けている。


===1963年〜2000年以前===
1965年 「[[理学療法士及び作業療法士法]]」制定
 
1963年 作業療法士養成校が設立される
 
1965年 「理学療法士及び作業療法士法」制定


1966年 第1回作業療法士国家試験。制度としての[[作業療法士]]が22名誕生した。
1966年 第1回作業療法士国家試験。制度としての[[作業療法士]]が22名誕生した。

2021年5月3日 (月) 01:26時点における版

ある人にとって、有意義な生活上の活動行動アクティビティー生活行為をさして作業と表現する。


この時、この意味での作業を用いて、人の生活上の問題解決を試みるアプローチを作業療法とよぶ。

また、作業療法は問題解決だけでなく、対象者の強みに焦点化した支援を行い、その人らしい生活が営めるように支援を行う(ストレングスモデルアプローチ)。

作業療法の哲学

人と作業は不可分である

作業は人をエンパワメントする

作業によって人は社会的な存在になる。

作業療法は、社会的存在としての人の健康をマネジメントし、必要に応じて問題解決とそのための手段を提案するリハビリテーションの一つの技法や哲学に基づく実践の集合である。


日本の作業療法は輸入品

日本の医療は、長くパターナリズム的医療福祉が一般的であった。

そのため、日本においては、自己決定を前提とするリハビリテーションの考えが長らくなじまず、現在ですら、馴染んでいない可能性がある。

そのことをよく含んだ上で、必要としている潜在顧客に対して作業療法士はサービスを提供することを考えなければならない。

作業療法の基本的構造

作業療法は、人の心身を健康に保つために作業を活かすという発想に基づくアプローチの総称である。

つまり作業療法は、人が作業に取り組むときに生じる様々な現象や関係性や体験を通して、包括的に問題解決する。

作業療法は、問題解決における一つのアプローチに過ぎない。直接性あるいは間接性を問わず、その人の生活に豊さやスムーズさを取り戻すことを目的に、様々な作業を介して、作業療法士は対象者に関わることになる。

作業がもたらす具体性や、象徴的意味合いなどをも活用しながら、対象者である作業主体としての人が作業を通して、「元気になっていく過程」を構造化したものが作業療法であると言える。

作業療法の前提

人はどう言う存在かということへの理解が必要である。[1]

人は作業を求める存在である

これについての共感をもとめることは、2020年以前は困難なことも多かった。しかし、COVID-19によって多くの人が共通して、作業剥奪の経験をしたこことから多くを語らずとも簡単な言葉で説明できるようになった。

つまり「あたりまえにできると思っていたことが、できそうなのにできないとモヤモヤする」のが人間であり、その状態を放置することは健康に深刻な影響を与えるということである。作業療法士は、作業を求める存在である人に対してにコミットする。

さらに、人は作業を求める存在であると言う前提を、多くの人に伝える使命が作業療法士にはあると言える。

人間は作業をしてないと機能が低下する

人類は、生理学的な構造として、刺激が入力されない機能は自然と衰える。

さまざまな作業を行うことで、何かができると言う力、可能性、アビリティが保てる。

それは正しく健康な状態の一つである。

作業があることで生活にリズムを作ることができる

何もすることが、ないのに生活を保つことは難しい。

高齢で元気で快活な人というのは、自分のことを自分でやり続けていたり、仕事を継続しているなど、何らかの作業にいくつになっても従事している。

毎日決まったリズムで生活できることは、健康な状態を維持することにつながるので極めて重要である。

心の置き場として作業は情動を安定させる

何らかの作業に取り組むことをとおして、自分自身との対話をすることができたり、興奮した状態から落ち着いたり、逆に落ち込んだ状態からエンパワメントしたりする力が作業にはある。

作業は人生に広がりをもたらす

人生は、年を経る事にライフステージが変化する。そのため、行動や思考の幅を徐々に広げていくことが必要になることが多い。

作業に取り組むことは、可塑性や変化を続ける力を維持することに寄与する。

作業は内的な病的体験から離脱して現実に目を向ける機会となる

作業療法が、精神疾患を有する方に対して働きかけができる事実の根拠である。

作業を通して、外界の情報を処理することが、内的な病的体験の比率を低下させ、現実の捉え直しを行う上で役立つ。

作業は自信を回復する

作業をおこなうこと、その具体的な体験が自分自身を捉え直すことにつながり、自分自身への理解を深めることになる。

作業をとおして自分を理解し、自分で自分をコントロールすることができる部分が増えていくなかで、次第に自分を知っていると言う感覚が、自信をもたらしていく。

作業療法にとって大切なこと

作業療法というものが、平凡な効果が得られることが大切である。

そして、その平凡こそが大切であるということであり、社会一般がそこに価値を認めることである。

「普通に生きたい」と願う人の思いに寄り添うことを、社会が是とすることである。

作業療法士にはその価値観を広める使命がある。また、作業療法を必要とする人の当事者発信を強化する必要がある。

作業療法の対象

作業療法は、健康な人を含めた全ての人を対象としうる。

その理由は下記の通りである。

作業の定義上、作業は全ての人に存在する。

作業を用いて、人をエンパワメントするのが作業療法であるので、作業療法は特に対象を選ばず、全ての人を対象にできることになる。

しかし制度運用上の都合で、障害者を中心として以下のように分類されることも多い。

発達

身体

精神

高齢期

ひとえにこれは、多くの場合作業療法士の生活が保険制度によって成立していることに大きく影響を受けている。

各種保険制度の対象になりうる人が、上記の領域のいずれか、もしくは複数に重複して属しているからである。

作業療法の戦略の最も基本的なもの

作業療法は以下のようなPDCAサイクルに似た構造を持つ。

評価 → 治療計画立案 →  介入  → 再評価


これを最小の基本単位として、作業療法士はさまざまな戦略を用いて対象者を支援する。

このような戦略をマネジメントコントロールする上で、各種の理論フレームワークが大いに効力を発揮する。

作業療法の歴史 [2]

日本における作業療法はどのようにして今のような形になったのかについて述べる。

但し、歴史と科学的なエビデンスについては、別の文脈から語られるべきである。つまり、歴史によって、作業療法に権威づけをおこなうことは、科学的には全く意味がない不毛な行為である。それでもなお、歴史について知ることで作業療法士はそこから様々な教訓や発想を得ることができる。そのために知っておくことは有意義である。

古代

古代エジプトなどの時代から、病人に活動をさせることが事態を好転させる現象が発見されていた。

紀元前2000年頃の壁画に身体的な活動が精神に何らかの影響を与えるというアイディアが書き留められている.

また、紀元前300年頃のヒポクラテスは、患者の治療に作業活動を用いたという。

時代がやや下ってGAllen(ガレン)は、「仕事は自然の最も優れた医師であり、それが人間の幸福についての要件である」という言葉を残したとされる。土堀り、農業、釣り、木工などを治療手段として用いたという。

現代の作業療法と同様の構造は、人類史の文明の中で、経験知としてその有用性を認められ、運用されてきたと言える。

つまり科学的根拠は乏しくとも、民間療法のような形で何らかの効果を実感した人々の間で重用されてきたのである。

近代

産業革命などを通して、人に新しい病が生まれた。その中で、人間らしい生活を取り戻すために、生産性を超えて各種手作業があえて用いられるようになった。

当時、精神疾患を患った方への処遇は、人権のない残酷なものであった。

そうした方々への人権を見つめ捉え直す課程の中で、人というものを捉え直す文脈で、改めて人が作業をするということに注目がなされた。

現代

社会はますます複雑化して、シンプルなアプローチのみでは対応しきれない問題が取り残された結果として増えている。

特に、ひとたび社会生活が困難となった人に向けて、病院などの場で社会復帰に向けたトレーニング等の手段として作業療法が用いられている。

現代の作業療法の起こりの一つのきっかけが、結核である。

結核による収容は、精神病院の設置にもつながっているが、病によって収容生活を余儀なくされ、活動性の低下した人たちが、再び自らの生活を取り戻すための手段としての作業が用いられた。

もう一つの作業療法の盛り上がりの原因が、戦争である。

戦争で負傷した人が、社会で就労し生きていくためには訓練が必要であり、その訓練を担う存在が次第に作業療法と作業療法士として確立をしていったのである。

このような複数の要因が、くっついて現代に続く作業療法の流れを作っているので、作業療法の背景が非常に豊かであると同時に、その理解が一筋縄で行かないという原因ともなっている。


1963年〜2000年以前

1963年 作業療法士養成校が設立される

国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院が設立され、作業療法士教育が始まる。

内容はアメリカのそれに倣っており、このことから日本の作業療法は強くアメリカ式の影響を受けている。

1965年 「理学療法士及び作業療法士法」制定

1966年 第1回作業療法士国家試験。制度としての作業療法士が22名誕生した。

    同年 日本作業療法士協会設立

1972年 日本作業療法士協会WFOTへ加盟

1974年 身体障害作業療法と精神障害作業療法に診療報酬点数が設定される

1988年 老人保健施設

1992年 四年制大学養成課程

1996年 修士課程設置

1998年 博士課程設置

2000年以降

2000年 介護保険制度導入・回復期病棟の新設

第24回WFOT代表者会議日本開催(札幌)

2004年  日本作業療法士協会 「認定作業療法士」資格認定制度を創設

2005年 障害者自立支援法の成立

2006年 疾患別リハビリテーション算定料 機能別診療報酬

2009年 日本作業療法士協会「専門作業療法士」資格認定精度の導入

2014年 WFOT学術大会2014が日本で開催

2020年

新型コロナウィルス(COVID - 19)の登場によって、作業剥奪の状況下に置かれる人が増えた。

これにより、心身の不調を感じる人も多く、普段何気なく行っている活動の重要性に実利以外の側面から気づかされる人も多かった。

普段の活動は、人にとって作業であるということが図らずも証明されることとなった。

人にとっての作業の重要性はどんな時代でも変わらないことが、多くの人に我が事として実感された。

これは、作業療法の歴史にとっても機会となった。

作業療法の必須要素

ファクトベース

論理

エビデンス


理論

詳しくは作業療法の理論を参照

作業療法範囲

人の1日の行動に関する行為は全て作業療法の対象である。

また、作業療法の本来的な意味合いでは、対象者の方にとって意味がある活動、人の生活に関する困難は全て作業療法の対象となる。

作業療法士が実際に働く場については、作業療法士の就労を参考。


ただし、実際には作業療法士は全ての領域に関して完璧な知識と技術を備えているわけではない。


基本的な知識や技術は共有しながらも、より専門的な内容については分担されているのが実際である。

これは、医師の専門に従事する様子とよく似ている。医師は制度上はおおよそ全ての領域の診療がどの医師でも可能であるが、大抵は専門的領域に対する技術や知識を深めるコストを支払っており、すべてを深く広く見れるわけではない。


よって実際としては、実際の作業療法の範囲は限定されてしまっている。

一応の目安はある。

たとえば、以下に掲げる業務については、理学療法士及び作業療法士法第2条第1項の「作業療法」に含まれる。

移動食事排泄入浴等の日常生活活動に関するADL訓練

家事外出等のIADL訓練

作業耐久性の向上、作業手順の習得、就労環境への適応等の職業関連活動の訓練

福祉用具の使用等に関する訓練

退院後の住環境への適応訓練

発達障害高次脳機能障害等に対するリハビリテーション

作業療法のマインド

作業療法の基本は自己決定であり、その支援が本質である。

対象者の自己決定主体性無くして作業療法はありえない。

ただし、自分の意思表示が疾患や障害等の理由で困難であったり、なかなか本心の表出が困難な事例もある。


そういった場合には、周囲から求められている役割、達成することを期待されることと言った必要性を目標にすることもある。


また、作業療法はプロジェクトの性質を有しており、変化を期待して行うものである。

その変化は、精神身体環境を問わず、作業的存在としての人を支援する。

参考